YAMADA TAISHI’s diary

ゲームについてとか私の日記とか。このブログのあらゆるコードは好きにどうぞ。利用規約があるものは記事内のGitHubのRepositoryのリンクで貼られていると思うので、そちらを参照ください。

【回想】もしかして無茶苦茶ブラック!?前職の無茶振り案件 前編

人はわかりあえる。


そう思っていた時期が僕にもありました。

7.5 * 20 + 90  = 240

なんの数字かわかるでしょうか?
これは前職で私が最も忙しかったときの労働時間です。

こんなのまだまだって言う人も居るでしょう。しっています。
しかし、これを見ても同じことが言えますか?

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この月はまだマシな方でした。
もちろん週イチで休んでいます。
しかし一人暮らしの私が生きていくのは辛いものがありました。

起きて朝ごはんを食べて出勤して働いて帰ってから、ご飯を食べてお風呂に入って寝て
起きて朝ごはんを食べて出勤して働いて帰ってから、ご飯を食べてお風呂に入って寝て
起きて朝ごはんを食べて出勤して働いて帰ってから、ご飯を食べてお風呂に入って寝て
起きて朝ごはんを食べて出勤して働いて帰ってから、ご飯を食べてお風呂に入って寝て
起きて朝ごはんを食べて出勤して働いて帰ってから、ご飯を食べてお風呂に入って寝て
起きて朝ごはんを食べて出勤して働いて帰ってから、ご飯を食べてお風呂に入って寝て
起きて買い出しに行って家事して一日中寝て、
をずっと続ける毎日でした。

これはまだマシな方でした。
後輩には30連続勤務した方もいました。
鬱になって病院通いになったのに会社から手当も出ず消えるように退職した後輩もいました。

90時間残業するのはまだ良いんです。
ただ50時間以上、"楽しくもないのに"残業する月が3~5ヶ月と続くと精神が疲労していきます。

私にはもう一個ツイッターアカウントがありますが、こんなことを言ってました。

すっごーい!ななれんきん!
ざんぎょうが、すきなフレンズなんだね!!!!!!!
13連勤だから、タイムカードみると今月は10回連続ログインしてる。
ログインボーナスくれ。
明日で13連勤目。
ヒョっ子連勤術師と呼んでくれ。
隣のプロジェクトでは35連勤の連勤術師がいて、徹夜経験者だ。
俺は徹夜しないし出来ない。
家に居るのに帰りたいとか言っちゃうことない?
僕も疲れた。
美少女に、がんばれ!がんばれ!されたい。

はい、相当疲れてますね。
何があったのか。話していこうと思います。


目次


仕事は突然やってきた


私は社会人2年目になったばかりの新人社員だった。
新人研修の終わった後、仕事の要領がわかってきたあたりで
もっと技術的なことをしたいと進言し保守業務を離れ別の部署に移った。
いくつかのWeb系の保守とリプレースをしたのち実力が認めらたのか改修案件に携わることになった。

チーム構成はこんな感じ。

自社

・Dさん → ベテラン派遣社員さん 40代男性(案件調整・エンジニア)
・Sさん → 中級者自社社員 30代前半 女性(エンジニア)
・Nさん → 同期 男性(エンジニア) 22~23歳
・Gさん → ベテラン自社社員 50代(案件調整・エンジニア・PL)
・Cさん → 後輩 私とOJTをしている 男性
・私 やまだ 当時23~24歳

リモート自社社員

・Kさん → 一番能力がある実力者 男性 30代(エンジニア・技術リーダー)
・Bさん → Kさんの部下 男性 30代(エンジニア)
・Tさん → Kさんの部下 男性 30代(エンジニア)

リモート自社社員は別の県で作業。基本的にハングアウトとSlackを使いやりとりをしていた。

案件内容は曖昧だった。
まだ固まっていないことも多く、デザインの一部や一部改修は他会社に任せ、
内容を固めて行くところからだと聞いた。

内容としてはリプレース。それに伴ってCMS(BtoB)の改修を少しだけしてほしいというものだった。
CMSとはコンテンツ管理システム(Content Management System)の略でいわゆるブログサービスそのものみたいなものだ。

私達はそのコンテンツの入れ込む部分の使い勝手の向上を頼まれた。

私は案件が始まった最初は聞いていなかったが客→元請け→自社という二次受け案件だった。
cssの改修だけならとKさんはBootStrapのテンプレートをどこからかとってきて、それを仮で手早く当てはめた。
相手先からは素早い作業と見た目や機能面の素晴らしさから評価を頂いた。

このままリプレースして終わらしてしまうのではないかと思われた。

その後、改修箇所がいくつか足させてくれないかと元請けから言われる。
正直言って大したことがなくチームメンバーも案件に対し多すぎたため快く承諾することになった。
「きっと向こうにも事情があるんだ!」と素直にそう思っていました。

なんとかなるだろうと張り切ってやっていた。忙しかったが充実はしていた。

……数ヶ月後こうなってましたケドね……。

増える仕事


案件を請けて数週間後、打ち合わせから帰ってきたDさんとGさん。
二人は頭を抱えていた。

打ち合わせをしたのに何一つ決まらなかったとのこと。
持ち帰ってきたのは現在の環境の情報だけだった。

その時のことを詳細にツイッターに書いていたので晒す。
(ここに書いてある先輩はDさん)

Dさん「ゴメン、来月は死んでくれ」
私「……はい」

不信感がありつつも相手も客から貰った仕事の手前言い返せないところもあるのだろうと、
まだこの頃は思っていた。

↓の先輩はTさん

(この頃はアカウント名が[おろちやまたの]でした)

こんな感じで作業。
この頃から段々と忙しくなってきて残業しないと仕事が終わらなくなってきていた。

更に増える仕事


なぜか、その後も次々と仕事が増えてくる。
Dさんは新たに見積もりを出し、上司に提出をするが何故か却下される。
Dさんは少し怒りながら
「DB設計書もないシステムの改修で要件も固まってないのに可笑しい。
見積もれる気がしない」
というようなことを言っていたのを思いだす。


いつの間にか気がつくと当初設定した作業量を大幅に上回る改修要件が積まれていた。
それにソースコードがひどかった。

他にも数千行単位でコピー・アンド・ペーストしてあり重複処理がいくつか散見された。


この頃から日々の残業からかGさんが目が急激に悪くなった。
もともと目が悪かったらしいのだが、ひどく悪化し手術が必要になったらしい。
PLのGさんは案件から抜けることになった。
代わりに案件の詳細を把握しているDさんがPLに任命。
こればかりは仕方ない。

さらにさらに増える仕事


デザインとCMSのフロント部分は別会社が担当と言っていたが、その別会社はデザインのみで
フロント部分のプログラムは私達で担当することになっていた。

流石に可笑しいと思った私は「あれ?そんな契約だったんですか?」と言ったが皆よく分からないまま仕事をする羽目になった。


そして、送られてきたPSD形式のデザインを見ると明らかに今のデータ形式では対応しきれないデザインの数々。
もはや改修どころかリニューアルに近い。


そして、PLに任命されていたDさんはキレた。
人員がさらに2~7人増えたがどうにもならない状態が続く。

会議室から怒声が聞こえる。
怒鳴り声ではなく静かに怒った声だったり驚きの混じった「何でですか!?」という言葉だったり。

わかり合うことが難しいことは流石に脳天気な私でもわかった。

もう笑うしかない。

Dさん「君たちにとっては御大(君たちの上司)は崇めるほどの人かもしれないけど」
私「崇めるほどの人じゃないですよw」
Dさん「俺には御大(君たちの上司)の良さがわからない」
その次の月にはDさんはプロジェクトから外れることになっていた。